めいそうえっせい

色々と心のままに

瞑想修行の日々

平常心という

 

どんな状況に置かれても心が揺れ動かないでいられるということだろう

 

修行が実を結んでいるのかどうか測るモノサシとして見ると

どうもまだまだのようだ

 

その日その日の気分や体の状態などで変わってしまうようだ

 

ただ人間には感情つまり喜怒哀楽がある

これは自然なことだ

 

平常心が感情をなくしてしまうこととはとても思えない

 

豊かな感情とその表現がありながら心は少しも揺れ動かないという

ことがあり得るということか

 

瞑想を切り口に得た自分なりの理解では否定的な感情を肯定的なものに

変えられるということ

 

そして今自分がどんな感情あるいは心情でいるのかに気づいていること

(が多い、そうでもない時もある)

 

結局気づかないと変えられない事はほぼ間違いないようだ

 

問題は否定的な感情自体が起こるのはどうなのか、いいのか悪いのかという事だ

 

否定的な感情が起こるにはそれなりの要因つまり不満があるのだろう

 

平常心に戻ると心が平常でいられるというのは全てにおいて満足していられる

ということではないか

 

何があっても、どんな状況に置かれても心が満足していられる状態などあり得るのか

 

ここで心とは何かという問題にぶち当たる

 

心が満足するとはどういうことか

一体心は何に満足するのか

何に不満を持つのか

それは何故なのか

 

堀りさげて考えてみたい