めいそうえっせい

色々と心のままに

一つずつ増えるか一つずつ減るか

頭ではこの世界では何もかもがどこかでつながっていると分かってはいる

 

つまりまあ想いはともかく、行動として何かを行えば必ずや反作用がある

 

エネルギー保存の法則からすれば、作用反作用が等量でバランスが取れる

 

誰かを殴れば殴り返される

 

これは分かりやすいが実際は目に見えないことが多い、というかほとんどなのでバランスが取れているとはとても思えない

 

でもそれは間違いないのだという立場に立てば、自分の行動の結果についてどうなるかは自明の理になる

 

憎んで傷つけるような言動や行動をすれば、同じ反作用があるし(気づかないけれど)、思いやりと愛情を持った言動や行動なら、やはり同様の反作用があるだろう(こっちも気づかないかもしれないが)

 

陰徳を積むという言葉がある

 

要するに他人には見えないところで、善行をしなさいという意味だ

 

善行なら見えててもいいのだろうが、見えてしまうと何か(目に見える)見返りを期待したくなるのが普通の人の感情だからこう言うのかなと思う

 

もう何年も前になるが、地下鉄から降りて歩いていたとき、自分の数十メートル前を歩くOL風の女性がいた

 

そのときそこを歩いていたのは、自分と彼女しかいなかったと思うし、前を行く彼女は後ろに人がいることを知っていたとは思えない

 

すると彼女が急に屈んだ

 

ん?と思ったが、よく見るとゴミを拾ったのだ

 

驚いた

 

ごく自然の行動だった

 

自分なら拾わなかっただろう

 

ゴミ箱もないのだ

 

彼女はそれを手に持ったまま歩いていた

 

どこかゴミ箱を見つけて捨てるつもりだろうと思った

 

本当に驚いた

 

どう言う育ち方あるいは育てられ方をしたのか

 

もしくはいつからなぜそうしているのか

 

とても知りたかったがもちろん呼び止めて聞く勇気もない

 

あれは一つの陰徳だと思った

 

ではあの行為の反作用は何か

 

地下道に落ちているゴミを一つ拾ったからといって何が変わる?

 

自分が今度捨てたときに誰かが拾ってくれるのか

 

そんなものを期待して拾うか

 

色々考えてみた

 

まずこれを書いている自分の意識を変えてくれた

 

見たからだ

 

自分は彼女が何者でどこに住んでてなど何も知らない

 

しかし自分の意識を変えてくれたことで自分の言動行動が影響を受けて変わった

 

そこから生み出される何者かが巡り巡って彼女に戻っていくことはあり得ると思う

 

この世界はそのようにして出来ていると思うからだ