娘が転倒した
鼻を打って大量の鼻血を出し、さらに両膝も打撲、肘は擦りむけとなかなかの具合
本人はそれでも自転車に乗って近隣の大学病院に行き検査を受けた
まあ大ごとにはなってはいないようだが、本人が転倒時の記憶がないと言うので、意識消失の可能性もあると頭から心臓など詳細に検査をするそうだ
今年に入って娘にはいいことが何一つない
可哀想なくらいだ
本人は厄年だとか天中殺だとか言っている
それを聞いて僕も似たようなものだなと思った
定年してからこっち特にいいことなど一つもないよなあ、、、
と思ってからふと気づいた
いいことって何だろ
今の僕にとっていいことって何だろ
いくつかは挙げられるが、それってそれほどいいことか
よおく吟味してみるとそうでもないと思えてくる
そこでまた違う視点で考えてみた
僕は幸せなのではないか
恵まれているのではないか
仕事をしていた時は、生活の八割は仕事に注意が向いていた
いいことや悪いことのほとんどは仕事次第だった
辛く苦しい時もあれば、成果をあげて仲間と喜びを分かち合ったり、飲んで騒いだり、落ち込んだやつを慰めたり、毎日が変化の連続だった
その八割がなくなった今は当たり前のように凪のような時間が大半を占める
凪の時間
三十八年間の航海は、ほとんどが波を乗り越える時間だった
ほんのたまに訪れる凪は、強い幸福感をもたらした
凪は幸せだったはずだが、ずっと凪が続くとそれが分からなくなる
何もドラマのない時間が貴重であることは、ドラマに巻き込まれて初めて分かる
娘にはこう言ってあげたい
ずっとドラマに巻き込まれてきたから少し凪の時間を貰えたんだよと
少しゆっくりしなよと