めいそうえっせい

色々と心のままに

不安は必要?

不安てのは多分誰しもが自然に?感じてしまうものだろうけどそもそも必要かどうかと思ってしまった

 

難しい問題だけどちょっと考えてみた

 

不安は人間が自然に(原始的)もつ防衛反応と聞いた覚えがあるが本当かな

 

もしかすると違うんじゃないか

 

原始的な人間は不安を抱かなかったんじゃなかろうか

 

不安って今ある危機じゃなくて、先のことを憂うところからやってくるわけだけど、原始的な人間はそんなに先のことを憂う必要はなかったんじゃないかと思う

 

今のことが精一杯で

 

毎日生きるのが精一杯で

 

そうやって考えてみると、不安が生まれて大きくなってきたのは、近代からなのかもしれない

 

今だって、人生100年時代と言われて、ああ、良かった、長生きできるじゃないもんね

 

そんなに長く生きて、生活できるのかなとか、お金大丈夫かなとかそっちの不安を持つ人の方が多いようだからね

 

時間があまりなくてとにかく今を精一杯生きなきゃと思ってたら不安がなくて、時間がいっぱいあって、ゆとりというか、生活が安定したのか、先を考えられるようになって不安が生まれてきたのかもしれない

 

こうやって考えてくると、先のことを考えすぎると不安が生まれるってことになる

 

瞑想してるとさまざまな雑念がやってくる

 

外見では静かに目を瞑っているか寝ている?くらいにしか見られないけど

 

ひどい時はずっと雑念だらけ

 

あれやったかな、これやんなきゃ、あいつこう言ってたな、そういえばあれはどうする

などなど心配や不安が山ほど出てくる

 

不思議なことにあれ楽しみだなとか喜びの雑念ってあんまりないんだな

 

つまり雑念というのは基本、何か無意識に気にしてる不安や心配のタネのような気がする

 

その雑念が過ぎ去る(というか無視するんだけどね)と心が落ち着いてきて、嵐が過ぎ去って海で言えば凪のような状態になってくる

 

そして海の中に潜っていくわけだ

 

終わって海面に出てくると、あら、太陽がある、いい天気って感じかな

 

そこで気付かされるのは心配とか不安って本当は実在してないなってこと

 

勝手に作り上げてる妄想

 

じゃ必要かって話なんだけど、必要じゃないんだなこれが

 

ところが必要じゃないってことに気づかないからこれが分からない

 

そう

 

気づくか気づかないかってことが違うだけなんだよね

 

不安は実体のない妄想に過ぎないことに気づくかどうか

 

夜中に目が覚めて、足元に白いものが浮かんでたらそれをお化けと思えば怖い

 

でも本当は近視でよく見えてないだけで枕元の眼鏡をかけて見たら自分が風呂上がりに

かけておいたバスタオルだったなんてね

 

そんなもんだよ本当は不安なんてのはね

 

結論

 

不安は必要なし!