心の底から旨いと思った店が二つある
二つとも確か新橋周辺だったと思う
一つは、京料理の店で、もう一つはノンジャンルの店
共通しているのはメニューがないこと
一人当たりの単価が大体決まっていることだった
京料理は飲み物別で一人三万円ほど、ノンジャンルの方は、なんと一人七万円である
京都に都合三回も住んで、祇園含めあちこちの有名料亭に足を運んだ経験はある僕だが、そのどこよりも味に奥行きを感じた
数回行ったが毎回その味に驚かされたものだ
もちろん店の雰囲気も申し分なく、なかなか予約さえ取れない名店である
ミシュランに掲載されていないのが不思議で、店長に伺うと、断っているとおっしゃった
京都人らしくお馴染みさんを大切にしたいと言う
ノンジャンルの店は、カウンター七席ほどの小さな店だ
しかも両隣には客を入れないから、実質はせいぜいが四、五人というところか
シェフは一人で、全てを賄う
メニューはないので、その日に仕入れた材料で料理を作る
もちろん材料は最高級のものしか入れない
ワインや日本酒など酒類は持ち込み自由である
何を食べても旨いが、突き詰めて考えてみると、京料理の店で心底旨いと思わされたのは、出汁だ
そして、同じくノンジャンルの店は、いつも最初に供されるテリーヌだと気づいた
多分だが、両方ともシンプルでありながらとんでもなく手が掛かっている
その味の複雑さは、大袈裟でなく宇宙を思わせるほどである
小さな分子一つの中にも宇宙が存在すると言われている
どんどん細かくしていくと、物は物として観察されなくなり、波動となることが知られている
その波動を構成するのが、たった一つのひも状のもので、その組み合わせで宇宙の全てが表現されているとするのが超ひも理論だ
アインシュタインの一般相対性理論の矛盾を解消し、量子力学と折り合いをつけたとされる
我々も宇宙の一部であり、たった一つのひも状のもので構成されているとするなら、それを組み合わせる力をも持っている可能性がありはしないか
もちろん料理だってそうで、味覚もそうだろう
優れている料理人やシェフというものは、無限の中からとんでもなく複雑な味を作り出す宇宙的な感覚を持っているに違いない
それに気づいた僕は、よく気づいたものだ、それにその味の凄さが分かる僕の味覚も大したものではないかと自画自賛した
そして自分が少し恥ずかしくなった
そんな素晴らしい店に、一度たりと自分のお金で行ったことはなかったから
そしてさらに恥ずかしくなった
味が可能なら、お金さえも超ひもの組み合わせで生み出せやしないだろうかと思ったからだ
そして最後に、そんなこと出来るならなんでも可能なわけで、それを神と言うのだろうと気づいて僕は考えるのをやめた