めいそうえっせい

色々と心のままに

過去の自分

今朝、瞑想していて、小学生の頃の自分を思い出した

 

仲の良かった近藤くんの家に遊びに行く自分がそこにいた

 

懐かしくも思ったが、その一方で、これは現実ではなかったという不思議な感覚にとらわれた

 

確かに記憶の中にはあるんだけれども、まるで夢の中で起こった出来事とでもいうか、昔見た映画の一コマというか、いずれにしてもリアルではなかった

 

うまく表現しにくいが、自分という存在が時空を超えていて、いわゆるアバターみたいなものがところどころ顔を出しているみたいな

 

現実は今にしかないと聞いたことがある

 

時間的感覚でいえば、見ているものは全て過去になる

 

であるなら、「たったいま」とは何を指すのだろう

 

もしかするとそれは、「ある」という「感覚」ではなかろうか

 

たったいま「ある」

 

この、たったいま「ある」という「感覚」が自分という存在に他ならないとするなら、それが永遠に続く限り、存在は続くことになる

 

ではその一方で、たったいま「ある」という「感覚」がない状態ならどうだろう

 

実際にそんな感覚を常に保つことはないので、その場合には、存在して「いない」ということにならないだろうか

 

もっというなら過去の自分は、存在していなかったのでないか

 

そこにたったいま「いなかった」から

 

そしてさらにいうなら、たったいま「ある」ことを知って、そうあるようになっていくことが究極の目的なのではないだろうか

 

そのとき初めていまを生きることができるのかもしれない