LAMB(ラム)から
北欧の映画
日本ではホラーのジャンルに分類されているみたいだけど、ホラーではないと僕は思う
描いているのは人間のエゴではないか
タイムマシンが実用化された未来社会だが、描かれるのは北欧の高原で山羊を飼育する二人の若い夫婦
なぜ未来社会でなければならなかったのか
タイムマシンが存在する未来社会でも人間の営みが変わっていないという普遍性にあるのではなかろうか
ある日、一頭の山羊に子どもが生まれる
その子羊=ラムは、アダと名付けられるが、顔から右手までは山羊で、あとは人間の姿である
夫婦はアダを自分の子供として大切に育てる
ある日知人がやってきて逗留するが、その知人は奥さんの昔の男かもしれないと思わせるほど親密である
知人はアダを銃殺しようとするが思い留まり、やがて去る
アダという名は、夫婦の亡くなった子供の名前であるとわかる
子羊を産んだ母羊は毎日のように、子羊を返せと言わんばかりに窓の外で鳴き続ける
その母羊を母親は撃ち殺して埋める
父親がアダを連れて外へ出た際、高原でいきなり撃たれる
撃ったのは、アダ同様、顔が羊で体が人間の男性である
たぶん父羊だろう
母羊を殺され、子羊を奪われた復讐である
母親は、アダが連れ去られ、夫が倒れている現場に到着し、泣き崩れる
誰しも愛する者を奪われる悲しみは同じであり、人間だけが許されるわけではない
鑑賞した後味は哀しいものだったが、色々と考えさせられる深い映画だった
この映画は観るものを選ぶだろう
次にSHE SAID
ハリウッド大物プロデューサーの起こしたセクハラ実話で、有名なMe too運動へとつながった大スキャンダルである
勇気ある二人の新聞記者と、実名告白した女性たちの物語
最も驚かされたのは、アメリカにおけるメディアの矜持と情報透明性にある
日本でもジャニーズ問題が取り沙汰されて久しいが、いかに日本社会がこの点で欧米に遅れをとっているかを思い知らされる
「忖度」という言葉は日本のためにあるとしか思えない
これは次回に書こう
ニューヨークタイムズが舞台
どんな媒体でもスポンサーがいて、購読者がいて経営が成り立っているのは間違いないが、厳然としてそれを超えたメディア=ジャーナリズムとしての矜持が根底にある
ジャーナリズムの本質とはなにか
日本で働く自称ジャーナリストやメディアで働く人々がこの映画を観たらどう思うのか
きっと自分を棚に上げて環境を嘆くだろう
そうしないと自分が辛すぎるから
映画なので多分に脚色されているところはあろうが、それを引いてもまだ違いがあり過ぎる
僕はアメリカという「国」は好きではない
ただアメリカという国に生きる「人」の中にはこのような精神があると思う
自由とか愛とかプライドとか
そのためにリスクを取れる尊い精神
戦うことを厭わない強さ
人間の成長の物語でもある