めいそうえっせい

色々と心のままに

献身と帰依

今朝の瞑想中に気づいたことがある

 

悟りを得る道として神への献身をするという言葉がある

献身とは文字通り身を捧げることだろうが実際にどういうことを

意味するのか分からなかった

ネットで調べてみると自分の身を省みず神に捧げ尽くすとある

やっぱり分からない

 

一方、帰依という言葉がある

仏教用語かもしれないが仏に帰依すると使われたりする

これも今まで何となくわかったようで実際は分からない

ネットで調べてみると神や仏にすがり拠り所にするとある

 

正しいのかどうか分からないが気づいたことはこうだ

 

瞑想は心を扱う(コントロール)技術である

雑念だらけの心を相手にして内側に向かうことはなかなかに難しい

自分の身体ごと全てをなくすというか捨て去るというか内側に振り向ける

ような感覚を抱くことがたまにあるのだがそのようなことを献身という

のではないかと

 

自分という意識が強いと全てに自分がコントロールできると思い込む

実際には自分がコントロールできるものはほとんどない

 

瞑想という技術でたどり着く(かもしれない)内側に何があるのか

分からないが自分自身をその中に埋没させることで何か全体と一体

となる感覚がある

 

何かを得ようというのではない

 

献身という意味が実際的なものを指すとすれば禅寺などで行われる「作務」

がそれに当たるかもしれない

自分たちの行っている庭掃除や廊下を磨く、食事の支度など全ての日常業務

が「身を捧げる」ことにつながる

そこに自分はない

 

自分がある(雑念があり献身していない)と辛い、暑い、寒い、痛い、眠い

つまらないなどなど作務が労務になる

 

やっていることは同じではないか  と思う人もいるだろう

 

しかし明白な違いがあるのだ