めいそうえっせい

色々と心のままに

瞑想談義

先日、友人と昼飲みをしたときに議論となった

 

彼はもう十年ほど前に体をこわした時に瞑想を勧め始めた人だ

 

ただ近年は不規則でもう一度しっかりやり直したいというので教師に繋ぎ

つい最近学び直し?をしてきた

 

非常に純朴な男でいわゆるいい奴だ

 

誰かのための労苦を厭わない

 

趣味人で交友関係も広い

 

自分がシナリオや小説の真似事をするようになったのも一つは彼の影響もある

 

この一、二年だと思うが彼から小説の講座に通っていると聞いていたからだ

 

多分それがどこか脳裏の片隅にあったのだろう

 

このブログを始めて、ああ書くことは面白いなと思った時、ふとネットでシナリオ

コンクールなるものを見つけたのが手習いのスタートだった

 

自分の書いたものや彼の書いたものを互いにああでもないこうでもないと議論する

ことが楽しく面白い

 

彼の書く小説はどちらかと言うと身近なテーマでペーソス溢れる人情話である

 

ああ気持ちが分かるなあと言う感じ

 

すごくよく言うと向田邦子氏のようなホームドラマ系だ

 

自分はどちらかと言うと荒唐無稽とまでは言わないが格好良く言うとエンターテイメント

だと思っている

 

ハラハラドキドキ、読む人を楽しませたいと言う気持ちが強い

 

自分にはホームドラマ系のものは書けないかなとも思っている

 

一応勉強しようと思い向田邦子氏の本は何冊か読んではみた

 

あれは書けない

 

微妙な心の機微を細かく描写している

 

人の気持ちが本当によく分かる本当に優しい本当に心が純粋な方だからだな

 

自分はとんでもない人物とか意地悪とかダメなやつとかそんなのを書くのは

なんとかいけるんだが

 

そんな人間が好きなんだろうな、結局のところは

 

それは置いといてだ

 

そんな彼と瞑想談義になった

 

実は瞑想について語り合うなんてことはほとんど誰ともしたことはない

 

それは非常にナイーブで内面的で主観的な事柄に属するからだと思う

 

彼は言う

 

どうなれば瞑想は良いのかと

 

つまり瞑想中の体験のことを指す

 

彼によれば瞑想中の90%が雑念ばかりで最後の10%でなんとなく

集中できた感じがすると

 

なので最初の90%は捨ててそこから瞑想をスタートした方が良いのではないかと

 

自分はこう言った

 

最初の雑念だらけの90%は無駄じゃない

十分意味のあるものだと

 

彼はではそれをしてはダメなのかと

つまり瞑想を始めて雑念だらけが終わったと思ったところからやってはと

 

自分はこう言った

 

その必要はないと思うがどうしてもやりたければ一回やってみたらいいよと

多分できないよと

 

瞑想の90%が雑念になるにはそれなりの意味があるのだと思う

 

つまりそう言う状態なのだ

体や精神神経系などが

 

そして自分はこう追加した

 

瞑想という技術は相対と絶対を行ったり来たりするものだろう

 

つまり自分たちが知っているこの世が相対的な世界であることは論を待たない

 

真に絶対であるものは何一つとして存在しない

 

つまり二元的である

 

彼は量子力学をかじっているようだったのでその点から考察を試みた

 

量子力学が解き明かしたものはこの相対世界の全てのものは単一のエネルギー

で出来ているということだ

 

超ヒモ理論にもあるように単一のヒモ状のエネルギーが組み合わさって様々な物理的

事象となって現れている

 

ということは相対世界の奥底は一元的な世界で成り立っているということに他ならない

 

瞑想は心の内側に深く潜る技術だ

 

つまり一元的な絶対世界へと到達する技術だ

 

表面的な意識で生きている自分たちは相対世界しか知らない

 

その自分たちが瞑想の技術を用いて絶対世界を体験し知る意味と目的とは何か

 

これは普遍的かつ壮大な宇宙的レベルのテーマだ

 

彼には瞑想にはとんでもないレベルのものが内包されているんだよと偉そうに

言ってしまった

 

こんなことを人に話したのは初めてだったが彼には少しは通じたようだった

 

彼とはこれからも長い付き合いになりそうだ