めいそうえっせい

色々と心のままに

孫の一歳の誕生日に思うこと

今日は初孫の誕生日だ

 

早いものでもう一歳

 

あの長女に子供が生まれて一年たったのか

 

まだ長女が小さい頃、それこそ小学校に上がるかどうかという頃

 

自分はダメ親父だった

 

何にもわかっちゃいなかった

 

仕事のストレスみたいなものを子供にぶつけたりもした

 

優しい父親とは言えなかった

 

女房が当時のことを今でも辛かったというのはそのせいだろう

 

言うことを聞かないと風呂で頭からお湯をかけたりした

 

マンションの部屋の外に出したりもした

 

今思い出すと心底情けない父親だった

 

自分の愛する子供にそんなことをするとは

 

自分が幼かったことはもちろん間違いない

 

女房によると娘たちはどこかで自分を恐れる気持ちが今でもあるようだ

 

悲しいことだ

 

ただ有難いことにまだ時間が残されている

 

自分が成長し変わることが可能な時間が

 

瞑想を始めた時、長女は五歳くらいだったと思う

 

そこから大きく変わったとは家族に言われてはいる

 

人を愛せないのは自分を愛せないからだ

 

本当の自分を知ること

 

それが瞑想をすることの大きな意味でもある

 

本当の自分とは何者か

 

それを知るとはどういうことなのか

 

単純なように思うが実は根源的な問いである

 

いまこの世に生きている限られた自分、相対的な自分、肉体としての自分、精神としての自分

 

様々な自分としての姿がある

 

どれが本当の自分か

 

自分は物事を目の前にした時、なぜその選択をするのか

 

あれでもなく、それでもなく、これを選択するのはなぜか

 

何かを耳にした時、そう感じるのはなぜか

 

同じものを耳にした時、感じ方が異なるのはなぜか

 

一体誰が選択し感じているのか

 

選択し感じているのは本当の自分なのか

 

これらの問いへの答えを見つけていきたい