めいそうえっせい

色々と心のままに

瞑想修行の日々

渡哲也さんが78歳で逝去された

 

70台の方が亡くなるとなんだか人事とは思えないな

 

きっとあっという間にそんな年になるんだろうな

 

諸行無常と頭では分かっていてもいざそうなるとどうなるものやら

 

死は自分に起こるものではなく自分が選ぶものであるとある本に書いてあった

 

もちろん自殺などといった意識的な死ではない

 

先日ある人の話を聞く機会があった

 

死ぬことはなんでもない

怖いことなど一切ない

 

とその人は言い切った

 

理由は意識は永遠に続くからと

 

それよりも自分の意識の進化が止まることを恐れて欲しいと

 

意識は永遠に進化すると

 

人間は選択する自由が唯一可能な生物であり、自分の意識を高める自由も

そうしない自由もあると

 

自分の理解ではこうだ

 

多分人間の自由は果てしない(と思っている)

 

自由ではないと想像している人がほとんどだろうが

 

人間は誰もが進化していく

 

誰もが

 

何をしてもしなくても

 

では進化に向けた努力は何の意味があるのか

 

努力した分だけ進化が早まるのか

 

人は常に創造し続けている

 

常にだ

 

そして自分の創造したものに遭遇しそれを経験しそこから気づきを得て

最後にそれが知識になり意識に刻まれる

 

初めて自転車に乗る時を考えてみよう

 

自転車に乗りたいと「思う」

自転車を買って来て乗れるようになる

 

ここまでが創造だ

 

失敗しながらも乗る経験を重ねる

 

こうすれば上手く乗れるという「気づき」を得る

 

最後には自転車に乗るということ自体が知識となる

 

もっとわかりやすく言うと

自分は自転車に乗れるという知識

例えばあなたは自転車に乗れますか?と聞かれたら

乗れますと答える

これは自転車に乗れるという知識が既に自分の中に築かれたから

 

これこそが進化のサイクルだ

 

では人間は何を目指して進化し続けるのか

 

真の自由だ

 

人間は自由だと言ったが真の自由とは何か

 

簡単に言えば思いのままになるということだ

 

思いのままになる

 

知る限りのこの世の中で思いのままになる人が存在するか

 

次回