めいそうえっせい

色々と心のままに

軽い気持ち

朝起きる

 

早い時は5時半くらい、何かで遅いと7時を回る

 

その後、自分の部屋(と言っても2畳ほどの小部屋だが)で瞑想する

 

そこには、小さな組み立て式デスクとiMacがあって、瞑想が終わると、メールをしたり、ネットニュースを見たりしてしばらくの時間を過ごす

 

その後、出かけるか、出かけないか

 

出かけなければ、そのまま創作に入る

 

小説やエッセイを書くのだ

 

その際に、最近はクラシックを流すようになった

 

ずっとずっと、そうだな、もう何十年も前に、ソニーから発売されたクラシック全集のCD100枚が眠ったままあって、聞く機会がなかった

 

というより聞こうという気がなかった

 

聞きたくて買ったわけでもなく、元々クラシック音楽に興味もなかったくせに、なんとなく格好つけて買ってしまったものだから

 

食わず嫌いというのか、クラシック音楽は敷居が高いように思い、聞くにはそれ相当の耳とか、何か知識とかそんなようなものがいるような気がしていた

 

作曲家の名前は多少耳にしているが、まず持ってクラシックなる音楽のジャンルさえ分からない

 

ピアノソナタだとか、交響曲だとか、なんとかの何番とか、誰それが指揮しているとか、なんとか楽団だとか言われてもチンプンカンプンである

 

とっつきにくいこと甚だしい

 

Amazonプライムで無料の音楽が聴けることを知って適当に流していたのだが、そう言えばとクラシックCDの存在を思い出した

 

そうか、聞こうとせずとも、適当に流しておけばいいのじゃなかろうか

 

そんな軽い気持ちでiMacに取り込み聞き流すようになってもう数ヶ月になる

 

わかったことが少しだけある

 

ピアノより弦楽器の方が良い(自分にとって)

 

交響曲は少し苦手

 

モーツァルトの音楽にはほとんどの曲で「色」がないというか、音のつながりに脈絡を感じない、つまり自然のままに流れているという感じがする

 

ベートーヴェンは意外に好き(イメージが変わった)

 

バッハは苦手(バッハが流れていると何かをしていても気になってきて、あ、バッハと気付いて変える)

 

ロシア系の音楽は「色」が強い、つまり何かを意図して作られているように感じる

特に悲哀とか悲壮系の色を感じる

 

シューマンショパンはまだよく分からない

 

でも聞き慣れるにつれ少しずつクラシック音楽に対する敷居の高さみたいな苦手意識は無くなっていった

 

それで思った

 

なんでも軽い気持ちが大切だと

 

重く考えなくていいんだと

 

まずやってみて嫌だったりダメだったらやめればいいし、また気が向いたら始めたらいい

 

難しく考えることなんかないだなと